あがり症克服と私の挑戦

2019.04.29

私のあがり症発症と学生時代

初めまして、日本酒と護身術をこよなく愛する、なべぞーです。

私は、2018年9月15日にベーシック講座で、初めてあがり症克服協会の講座に参加しました。それから、ワークショップを受講しつつ、2018年10月27日にアドバンス講座を、そして2019年3月23,24日にインストラクター養成講座を受けて、インストラクターに認定されたばかりです。

子供の頃は、お祭りのたびに台に上がって、盆踊りを踊っていたので人前は平気でした。
あがり症をハッキリと自覚したのは、中学校三年生の時でした。全校生徒の前での発表のとき、壇上に上がると、汗は止まらず、手が震えて、頭が真っ白になりました。そして、ほとんど喋ることもできずに退場してしまいました。 

 

それからの中学校生活は、暗いものとなりました。受験のストレスもあり、心因性頻尿にかかりました。学校にいる時に少し緊張すると、すぐにトイレに行きたくなったのです。1時間に2回も3回も授業を抜けて行きました。その事を同級生にからかわれて、ますます人前が怖くなっていきました。また緊張すること自体が怖くて仕方がありませんでした。

高校生になって、心因性頻尿は落ち着いてきました。しかし、相変わらず人前が怖く、授業での発言は控え、体育祭などの全校イベントは体調不良などの理由をつけて、参加しませんでした。
大学に入れば、生活も変わるだろうと思っていました。しかし、クラスにもサークルにも馴染めず、大学3年生の時についに中退しました。税理士になろうと、その時は思っていましたが、今振り返れば、大学というコミュニティに馴染めず。その現実から逃げる口実だったのかも知れません。

社会人になってからも続いたあがり症の悩み

税理士の受験資格としての簿記一級は取ったものの、生活のために仕事をしながら勉強しようと、勤め先を探しました。資格も活かせそうな税理士補助の事務員を探しましたが、多くは女性の応募ばかりでしたので、税理士とは関係のないITのオペレーターとして働き始めました。その職場は人が少なく、ごく限られたコミュニティで居心地が良かったことを覚えています。そして、「税理士は30代になって改めて目指すこともできるから」と、プログラマーとしての就職をしました。理由は、あまり多くの人に会わずに済みそう、と考えたからです。

 


一度、あがり症を治そうとして、話し方教室に通いました。しかし、他の受講生の方たちは、一部の就職活動中の学生を除けば、すでに営業で活躍されている方、学校の教師の方など、あがり症ではなく、更に自分の話し方をスキルアップさせたい方が多い教室でした。しばらく頑張って通い、コースを終了して、講座のアシスタントも少ししていました。最後まであがり症は克服できませんでした。

またスキルアップのために短期のビジネススクールに通ったりもしましたが、緊張して声が震えるので、発言に二の足を踏んで悔しい思いを繰り返しました。クラスの前後の有志の勉強会では普通に話せるのに、と悔しい思いをしました。

この頃の私は、少しでも前に進もうとアクセルを軽く踏みながら、あがり症の自分が全力でブレーキを踏んでいる状態で、消耗していたことを覚えています。

同じ頃に転職をしましたが、やはり多くの人に会わなくて済みそうだという理由でネットワークエンジニアを選びました。

そして30歳を迎えたとき、「このままじゃいけない。無理にでも人前で話すようにしよう。」と思って次の職を探し始めました。転職先に選んだのは外資系通信事業者のセールスエンジニアでした。営業を技術的にサポートするため、客先を回り、プレゼンテーション、通信トラブルの報告もしました。12年働いていましたが、人前で話す苦手意識は最後まで拭えませんでした。またITイベントでの登壇は、セールスエンジニアの役割の一つでしたが、全て断って同僚にお願いしていました。

あがり症を克服することから逃げていた日々

そんな中でのストレスの解消法は、好きなことに打ち込むこと、日本酒と護身術でした。


日本酒は、10年程度、酒スクールに通い、ワインで言うところのソムリエのような勉強をしてきました。飲むだけではなく、ちゃんと資格を取ろうとFBO認定の日本酒唎酒師、焼酎唎酒師(当時は、焼酎アドバイザー)、それらの上位資格の酒匠(さかしょう)。日本醸造協会の製造者向けの唎き酒能力を認定するきき酒マイスター。日本ソムリエ協会のワインエキスパートと、SAKE DIPLOMAを取ってきました。

何度か「そこまで知識があるなら、セミナーとか開いてよ。」と、知人に言われることもありました。でも、知人、友人も参加してくれる講座は開けましたが、全く知らない人が集まり、その方たちの前で話す勇気が持てませんでした。知識ばかりが溜まっていく、ただのマニアになっていました。

護身術は、地元のフィットネスクラブでの筋トレに飽きてきたころ、友だちに誘われて、イスラエル生まれのクラヴマガを習い始めました。丸3年通っています。仕事柄、運動不足になりがちなので全力で体を動かすことで、健康の向上とストレス解消になります。
ストレス解消することで、本来向き合うべき課題、あがり症を克服することから逃げていたとも言えます。

あがり症克服協会との出会い

そんな中で、去年の夏(2018年8月)、知人から突然「私もセミナーとかやるんですけど、緊張がひどくて、終わったあと本当にグッタリするんです。話し方教室とか通った方がいいのかな。渡邊さん、いいところ知ってますか?」と聞かれました。彼女は、私がいろんなスクールに通ってきたことを知っていたから、そのような質問を何気なくしたのだと思います。
逃げていた課題を突きつけられました。その時にすぐにネットで調べて見つけたのが、「あがり症克服協会」でした。これは何かの縁だろう!と強く感じて、すぐに9月のベーシック講座に申し込みました。


講座の会場の丸高ビルに入る時は、ドキドキしました。どんな人が来るのだろうか?また話し方教室のときみたいに、自分だけが緊張で喋れなくなるのではないか?と心配しました。
「自分が一番緊張するに決まっている。」という思い込みは、私も含めてあがり症の方、誰もが思うことです。
講師のkae先生が、「今日参加されている方は、みなさん、あがり症です。今日は目一杯あがって下さい(笑)」と話されたとき、「そうだ!今日はあがっていいんだ!」と気が楽になりました。

人前でのスピーチの後で隣の席の受講生から、「あがり症とは思えないです!」と言っていただいたことも、すごく励みになりました。
その日を境には気分は一気に変わりました。
「あがり症は治ってはいない。でも、コントロールさえできれば。あがっていても、それを受け入れて前に進められれば、それでいい。」と思えたからです。

翌月のアドバンスの受講の時は驚きました。なんと、受講生が私一人だったのです。そこで、自分のあがり症の歴史を話して相談させて頂き、またasa先生の話を伺いました。その時に、「自分の弱さを最大の強みに変える意味でも、インストラクターまでやってみよう!」と決意しました。

あがり症克服への取り組みとイントラへの道

ワークショップを月に2回のペースで受けて、時に自信をつけ、時に準備不足を反省していました。ある日、あがり症克服協会に通うことが楽しくなっている自分に気づきました。「まだまだ人前で緊張する。それは当たり前の事。いつか、ワークショップに数十回通っているベテランの先輩達のように上手くなりたい!」と思ったのです。


いよいよ、3月23,24日のインストラクター養成講座の日が来ました。同期の受講生が5人いました。初日は全体を通して座学でしたが、その日最後に翌日のワークショップのアシスタント実習のための練習をしました。ボロボロでした(笑)動画を見て確認して、何をどう直せばいいのかチェック。もう一度練習してから、その日は解散してから各自練習。

その甲斐もあって、2日目本番のワークショップでのアシスタント実習では6人が役割を分担して、前日とは全然違って段取り良く進めることができました。私としては、いつも一緒にワークショップを受けているあがり症仲間の方たちを前にアシスタントとして立ったので、いつもとは違う緊張でしたが、その分、達成感を得られました。

無事認定を頂き、他二人の同期と飲みに行ったお酒の美味しいことったら無かったです(笑)

あがり症を克服した私の新たな挑戦

「あがり症を無くすのではなく、コントロールすることで克服する。」あがり症克服協会で学んだことです。そして今、あがり症だったから諦めたことはなんだろうと振り返った時に、日本酒学講師という資格への挑戦を諦めていた事を思い出しました。この夏、日本酒学講師の研修と認定試験にトライします。

日本酒学講師だけでなく、今まであがり症だから諦めてきたことが沢山あります。もし、その時にちゃんとあがり症を克服しようと調べて、あがり症克服講座に通っていたならもっと早くに明るく生きられたのでは、と通い始めてからのこの数ヶ月間で何度も思いました。


もし、今、あがり症で悩んでいる方がいらっしゃれば、少しの勇気を持って連絡をください。あがり症克服協会のインストラクターと、今回認定を受けたインストラクターのたまごの私達が、あがり症克服のためのサポートをさせていただきます。

この記事を書いた人
渡邊 眞也(nabezo)
一般社団法人あがり症克服協会 認定講師

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