

一般社団法人あがり症克服協会 認定講師 宮松 大輔
心理カウンセラー
NHKカルチャー話し方講師
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目次
1.はじめに ─ ひとり反省会とは
2.震えは「真剣に取り組んでいた証」ってどういうこと?
3.「震えてはいけない」と思うほど、体はもっと震えてしまう
4.「ひとり反省会」を卒業するために
5.おわりに
1.はじめに ─ ひとり反省会とは
人前で話したあと、最後までなんとか話しきれたとしても、頭の中に残っているのは、自分の声や手足が震えたことばかり。
自分の“できなかったところ”だけが気になって、まわりから「よかったよ」と言われても、「本当かな……? 震えてたの見えてたよね、聞こえてたよね」と、素直に受け取れない。
そんな経験、ありませんか?
私はよくありました。
誰かに責められたわけでもないのに、自分の中では“震えた瞬間”だけが何度もリピート再生されて、「全然ダメだった」と、ひとり反省会を始めてしまう。
けれど今思えば、あの“ひとり反省会”こそが、あがり症に深く陥っていく思考パターンそのものだったのです。


あがりやすい人ほど、「どう見られているか」「震えてないように見せなきゃ」と、“自分を観察する意識(自己注目)”が強く働きます。
その結果、うまくいった部分よりも、ほんの小さなミスや震えだけを拡大して記憶してしまう。
けれど、震えは「失敗の証」ではなく、「真剣に取り組んでいた証」という見方もあり、実はそう考えるほうが、ずっと現実に近いのです。
この考え方を受け入れられるようになってから、私は「震えていた自分」を少しずつ責めなくなっていきました。
人によっては“手の震え”かもしれませんし、“声の震え”や“足の震え”かもしれません。
このコラムでは、なぜ“最後まで話せた”ことはすぐに忘れ、“震えた”ことばかりが記憶に残るのか。
その理由と、「ひとり反省会」から卒業するための考え方をお伝えします。
2.震えは「真剣に取り組んでいた証」ってどういうこと?
人前で震えると、多くの人が「恥ずかしい」「ばれたくない」と思います。
私ももちろんそうでした。
震える自分を見せたくなくて、人前に出る機会を避けていた時期も長いことあります。
だから最初に「震えは真剣に取り組んでいた証です」と言われても、「そうかもしれないけど、やっぱり恥ずかしい」と感じていました。
だって、他の人はそんなに震えていないように見えたから。
でも、少しずつ考え方が変わっていきました。
私がなかなか受け入れられなかったのは、心の中に“ええかっこしい”な部分、「ちゃんと見られたい」「失敗したくない」というプライドがあったからだと思います。
高校時代、私は国語の本読みであがるようになりました。
それまでは学級委員や部活の部長をしていたり、人前に立つのがむしろ得意でした。
なのに、ある日突然、声や手足が震えて止まらなくなったのです。
そのとき感じたのは、ただの緊張ではなく、「なぜ自分ができないのか」という強烈な自己否定でした。
それまで積み重ねてきた“できる自分”というプライドが崩れ落ちていくようで、まるで心の中を引き裂かれるような思いでした。
今振り返ると、これは心理学でいう「自己不一致」の状態。
“理想の自分”と“現実の自分”の差が大きいほど、人は苦しくなります。
だからこそ、私は震える自分を許せず、必死に隠そうとしていました。


でも、隠せば隠すほど、人前に出るのが怖くなる。
そして、どうすれば出なくて済むかを考えるようになっていきました。
「人前に出ない役割を選ぶ」
「自分には向いていないと言い聞かせる」
「今回はたまたま出番がなかった」
そうやって、自然に“避ける理由”をつくろうとしていたのです。
けれど、それは心の罠でした。
避けるたびに、“人前に立つ自分”への信頼がどんどん薄れていったのです。
でも、「怖い」と感じる心の奥には、「本当はちゃんとやりたい」「うまく話したい」という切実な思いがありました。
震えは、その真剣さの証。
本当は“ちゃんと話したい”という気持ちの裏返しなんです。
そのことに気づいてから、私は「もう自分の気持ちにウソをつくのはやめよう」と思いました。
できていたことができなくなったのは悔しい。
でも、それを認めて“もう一度向き合う”ことこそ、あがり症克服の大きな一歩だと感じたのです。
3.「震えてはいけない」と思うほど、体はもっと震えてしまう
緊張して震える、それには、きちんとした理由があります。
人は誰でも、「良く見られたい」「失敗したくない」と思うもの。
その気持ち自体は自然なことですが、それが強くなりすぎると、「完璧にやらなきゃ」「失敗したら終わりだ」とプレッシャーを生み出します。
このとき、体の中では“防衛反応”が起きています。
脳が「今は危険な状況だ」と判断し、交感神経が活発になります。
心拍数が上がり、呼吸が浅く速くなり、筋肉がこわばる、その結果、体が震え始めるのです。
つまり、「震えてはいけない」と思えば思うほど、体は“戦闘モード”になってしまう。
これが、あがり症の“負のループ”です。


逆に、「震えてもいい」と思えた瞬間、脳はその状態を“安全”と判断し、副交感神経が働き始めます。
体がゆるみ、呼吸が深くなり、自然と震えもおさまってくるのです。
これは、セルフ・リリースとも言われ、自分の緊張を否定せず、受け入れて手放す(リリースする)考え方です。
“震えを止める”のではなく、“震えたままでも話す”勇気。
それこそが、克服の大きなカギになります。
出典元:青年期における対人不安・緊張の構造 – 横浜国立大学
4.「ひとり反省会」を卒業するために
では、どうすればその一歩を踏み出せるのでしょうか。
まずは、「震えてもいい」と思ってやってみること。
…とはいえ、それが一番難しいのもわかります。
だからこそ大切なのは、“安心できる環境”でやってみることです。
安心できる環境とは、震えても変に思われない場所、そして共感してもらえる場所。
そんな場所、本当にあるの?
あります。
同じように人前で震える悩みを持つ仲間が集まる場です。
そこでは、震えても誰も笑いません。
むしろ、「その気持ち、わかるよ」と受け止めてくれる。
だからこそ、自分を隠さず、震えながらも話せるようになる。
そして、「震えても大丈夫だった」という記憶を積み重ねることが、“ひとり反省会”を卒業するための最も確実なステップです。
ひとり反省会とは、いわば“孤独な思考のループ”。自分の中で反省を繰り返すうちに、ますます自信を失ってしまうからです。
ひとりで反省すると、「できなかったところ」ばかりが頭に残り、思考がぐるぐると巡ってしまいます。
でも、人と一緒に練習して、「よかったよ」「伝わってたよ」と言ってもらえると、その“失敗の定義”が少しずつ書き換えられていきます。


自信や自己肯定感を育てるには、2つの方法があります。
ひとつは、「練習を重ねてうまくできた」という成果から生まれる自信。
もうひとつは、「失敗しても受け入れてもらえた」という、人とのつながりから生まれる自信です。
あがり症の人にとって、本当に大切なのは後者です。
“失敗しても大丈夫だった”という経験こそが、次の挑戦へと踏み出す勇気になり、あがりを怖れない自分へと少しずつ変えていく、その力になります。
5.おわりに
もしも、私がこの世でたったひとりだったとしたら、きっと、あがり症にはならなかったでしょう。
あがり症は、「まわりの人の気持ちに敏感な人ほどなりやすいもの」です。
他人がいなければ、そもそも“あがる”こともありませんよね。
誰かの前で緊張した心は、誰かの前で安心する経験によって、少しずつほぐれていきます。
あがり症は、孤独の中ではなく、あたたかい人とのつながりの中で回復していくもの。
つまり、あがり症は“人との関わりの中で生まれ”、そして“人との関わりの中で癒されていく”ものなのです。


「震えても伝わった」
「緊張しても、最後まで話せた」
そんな小さな成功体験の積み重ねが、確実にあがり症である自分を変えていきます。
震えは敵ではなく、「本当はちゃんと話したい」という気持ちの裏返し。
その思いがあるからこそ、あがり症に苦しみ、あがり症を克服したいと思えるのです。
あがり症の克服とは、“自分を責める時間”を、“自分を信じる時間”に変えていくこと。
震えていた過去の自分も、ちゃんと頑張っていた自分の一部として、まずはその姿を、優しく受け入れてあげましょう。
「ひとり反省会」の卒業は、そこからはじまります。


























