【コラム】私のあがり症体験談、そしてイントラへの道

2017.10.02

私は幼稚園の頃から、あがりを意識し始め、人前はもちろん、男の子とも恥ずかしくて余り話ができず、特に赤面症が一番ひどかった。

中学の時、勉強はまあまあ頑張っていたので、先生から地元の共学の進学校を薦められたが、男の子と話しができないので、隣町の女子高を受験した。

私の中では、皆の前でハキハキと話したり、皆をまとめることのできる「学級委員」がスーパースターだった。
私もあんな風になりたいな、と密かに憧れていた。

中学から卓球部に入り、高校ではエースとなったが、後輩の前に出ると緊張してしまい、しどろもどろになってしまう情けない先輩だった。

しかし、大学でも卓球部のエースとして頑張っていた矢先に先輩から、「部長になってみないか?」との相談を受けた。
ええっ!私が?嘘でしょう?私が部長だなんて!務まるだろうか?
不安だらけだったが、何だか嬉しかった。
今までのウジウジした性格も何とかしたかったし、あがり症も克服したかったので、崖から飛び降りる気持ちで引き受けた。

が、異変はすぐにやって来た。
部員同志でのミーティングで何も話せない。しどろもどろ。動悸が鳴る。
そのうち、笑えなくなり、日常会話もままならなくなり、夜も眠れなくなってしまった。
どうしちゃったんだろう、私。

余り酷いので、心療内科を受診した。
ノイローゼになってしまったらしい。
薬物療法を始めたが、中々効果が出ない。
眠れない中、5~6時間の練習は辛かった。
とうとう限界が来て、何も仕事をしていないのに、部長を辞めることになってしまった。
何ともみじめで情けなかった。
部長を途中で辞めてしまったことで自信を喪失し、劣等感やトラウマが残ってしまった。

あがり症克服協会があったなら!

何年か経ち、結婚して二人の子どもに恵まれ、PTAに属した際、「本部役員になりませんか?」とのお誘いが来た。
こういうのは久々だったが、部長を辞めたトラウマもあるし、長年のあがり症も克服したい思いから引き受けることにし、まずは人前で話さなくてもよい「会計」を選んだ。
しかし、総会で「会計報告」をせねばならないのを忘れていた。
数字に、さんじゅうはちまんよんせん・・・などと全部にふりがなをし(苦笑)、何回も家で練習し、ガタガタ震えながら、頑張って報告し、これが自信につながった。

次に副会長を3年、何とかやり過ごし、とうとうPTA会長の話が来た。
さすがに迷ったが、これで断っては絶対後悔すると思ったので、気が付くと、「はい、やります!」と即答している自分がいた。

さすがに会長は、はじめの仕事からハードルが高かった。
「入学式のあいさつ」だ。
家で何回も練習したが、人前ということに関しては、ぶっつけ本番だ。
この時に、あがり症克服協会があったなら、即通っていたことだろう。
協会発足のかなり前だったのが残念だ。

少しずつ、上手いとは言えなかったが、自分なりに人前でのあいさつやスピーチを重ね、最後の大仕事、「卒業式のあいさつ」の時期がやって来た。
前の晩から大緊張!
余り眠れなかったが、何とか落ち着いてあいさつができた。
終わった!大きな達成感に包まれた。
この瞬間、部長を途中で辞めたトラウマが、心の中で消えていた。

あがり症克服協会との出会い

何年かして、とても可愛がっている親戚のやんちゃな大学生のM君が、ある日急に「死にたい」と言って泣きながら帰って来た、との相談があった。
カウンセリングを少し勉強していた私は、話しを聴きに行った。

「人が怖い」「学校にいるのが苦しい」「言葉が出てこない」「動悸が突然ひどくなる」と、泣きながら訴えるのだ。
これは尋常じゃない。
でもいじめられている訳でもなく、授業で先生に差され、しどろもどろになり、教室で失笑を買い、劣等感を持ってしまったのが原因?のひとつらしいが・・・。

余り酷いので、精神科に連れて行った。
何回か通ったが、「うつ?」「対人恐怖?」で、病名は付かなかった。
心因反応、との事で、治るには何かのきっかけ待ち、と言われた。
「きっかけ」か・・・。
その後、薬物療法やカウンセリングを受けたが、ほとんど効果が無く、むしろ悪化していった。

とうとうM君は引きこもりになり、テレビも見ない、笑わない、そしてうつろな目をしてベッドで過ごす毎日になってしまった。
将来、この子はどうなってしまうんだろう・・・。
私は何とかしたい一心で、本屋やネットで必死に色々調べた。
その中に、M君にピッタリなことが書いてあるHPを見つけた。

「一般社団法人あがり症克服協会」!これだ!

私はピンと来て、半信半疑のM君の親を説得し、M君を初級講座に連れて行った。
行きの新幹線でM君は、どこに連れて行かれるんだろうという不安で、全く無言だった。
私も実は何も変わらなかったらどうしよう、と少し思っていた。

それがどうだろう!
講座が終わって迎えに行くと、何だか晴れやかな顔をしている。
講師の鳥谷先生が、「M君、最後のスピーチ、立派でしたよ!」との事。
えっ!まさか!私は感激で泣きそうだった。
帰りの新幹線の中で、M君は笑顔でめちゃめちゃ私に話しかけて来たのだ!
笑顔を見るのは本当に久しぶりで胸がいっぱいだった。
この時は「死にたい」と言ってから半年以上経っていた。

学校も辞めたいと言って休学していたM君。
薬もカウンセリングも全然効かなかったM君。
たった1回のあがり症の講座、まさしくこれが精神科の先生が言っていた「きっかけ」だったのだろう、この講座を境に前向きになり、自分でも外へ目を向ける努力をし、今では見違えるように明るく、いやそれ以上の積極的な人間になった。
新たな目標も見つかり、学校は辞めずに、学部を転部する、と言い、自分なりに進路を考えているようだ。

本当にこの、あがり症克服協会、そして、鳥谷先生には感謝しきれないほど感謝しております!

あがり症インストラクターへ

私はこの一連の出来事に感銘を受け、インストラクターになりたい!と思い、先日養成講座を受講し、認定を頂きました!
去年までは、卓球のインストラクターをやっていましたが、これからの人生は、あがり症克服インストラクターとして、あがり症に苦しむ人達のために役に立ちたいと心から思っています!

大高利恵子

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